2017-12-09

8月16日の日記

8月16日は呉に用事が有ったので、小豆漕いで行って来た。

呉に出たついでに先だってラジオで言っていた、
新しく増えたデザインマンホールを探しに行った。

新しくデザインマンホールに置き換わった場所は、
呉市立美術館や旧帝国海軍呉鎮守府司令長官官舎の入船山記念館の有る、
美術館通りに設置されていた。

新しいデザインマンホールの有る通り。
写真の右側に呉市立美術館や旧帝国海軍呉鎮守府司令長官官舎が有る。

で、件のデザインマンホールを写しながら坂道を下る。

これら戦艦「大和」の一生がデザイン化されたマンホール蓋は、
下水道のイメージアップと観光振興などの目的に賛同した企業から呉市に寄贈された物。

デザインマンホール、ワンオフ物なんだろうから結構なお値段なんだろうねぇ。(´・Д・`)y-~~
このマンホールの蓋には、
昭和20年(1945年)4月菊水一号作戦時の大和の兵装が図案化されている。

大和の図案の周りの模様は金唐紙の模様で草花と昆虫がモチーフ。

金唐紙の説明は過去日記の入船山記念館3/3(歴史民俗資料館)下記URLを参照)
https://rkkpy267.blogspot.jp/2011/10/blog-post_3601.html 

上の方には協賛企業名が書かれている。


2つ目のデザインマンホール。
昭和16年(1941年)12月 大和竣工時図案。

金唐紙の模様は入船の森。


3つ目のデザインマンホール。
昭和18年(1943年)当時の戦艦大和と姉妹艦の武蔵。

多分トラック諸停泊地での写真を元にしてるのかも。


4つ目のデザインマンホール。
昭和17年(1942年)連合艦隊旗艦戦艦大和と書かれている。


5つ目のデザインマンホール。
昭和16年(1941年)宿毛沖標柱間で全力公試中、戦艦大和と書かれている。

この図案の元になった写真は残されている大和の写真の中でも有名な物の一つじゃ無かったかな?。

デザインマンホールはこんな感じで設置されている。

上の写真手前のデザインマンホール。
図案左に、大和の故郷呉と書かれ、右側には呉海軍工廠 竣工時の大和と書かれている。


上の写真奥側のデザインマンホール。

昭和16年(1941年)12月16日竣工 戦艦大和と書かれている。


美術館通りを下の方から。

この通りの右側には旧練兵場が有り、現在は市民グランドとして利用されている。

写したマンホールは全部で8枚有ったけれどリサイズ時上書きしたみたいで、
1枚少なくなってしまった。(;・∀・)y━~~

追加されたデザインマンホールの蓋は全部で10枚有り、
残り2枚のデザインマンホールの蓋は旧呉海軍墓地に有る。

また、マンホールカードなる物が無料配布されているもよう。

走行でーた。

走行距離 25,4km

因みに、走行経路は残って無い。


小豆に履かせているホイール、
シマノRS81-C35のリム部分の塗装が痛んで来たのでアクリルクリア塗料を筆塗した所、
塗料剥離剤を塗った様に元の塗装が浮いて来たので元の塗装を剥がし、
フロントホイールと同様黒の塗装をする事に。(´ーー`)y━~~

元の塗装とデカールを剥がし脱脂マスキングし塗装を待つホイール。

使った塗料は。
厚塗り出来るのと耐久性が良いので2液性のウレタン塗料を使用。

フロントホイールを塗った時と違い、外気温が低いので気泡も出来ず艶々に塗りあがったホイール。
ホイールを外したついでに、この後スプロケットも外し洗浄した。

前後とも黒い色のホイールとなったので車体色との関連で安物の自転車の様な風になったが、
高級自転車の様にロックする場所を探す事無く街中で気軽に停めれる仕様になったかも。(^▽^)y━~~

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