2012-03-31

IHI呉工場で作られていたクレーン船。

今日帰っている道中、何時もクレーン船が繋がれる事の多い埠頭を見ると、
IHI呉工場で作られていたクレーン船がIHI新宮工場に移動していた。 (´ー`)y━~~ 

丁度カメラを持っていたので、引渡される前に写しておくことにした。

夕暮れ時だったから、辺りは夕闇に包まれつつあったので、
最初に写した写真は暗すぎた。(´・Д・`)y-~~

で、改めて感度をISO800にし、シャッタースピードを3秒で写してみた。
この位の明るさで見えればクレーン船が分かり易いね。(´ー`)y━~~ 

うんで、写したのを確認してみると、
延長ジブを船体の後ろの方に背負ってるのに気が付いた。

普通のクレーン船と比べると、
何だか船体の後ろの方に無駄が有るよなぁと思っていたんだけれど、これを見て納得。

チョット明るすぎるので、またまた設定を変えて写して見る。

先の物よりこっちの方がイイね。(´ー`)y━~~ 

良く見ると、ジブにもキャビン横にも会社銘や船名が書かれていないので、
船体の後ろをチョイと拡大撮影。
船尾を見るとクレーン船の船籍は、シンガポールじゃった。(´ー`)y━~~

日本籍の船かと思っていたけれど、シンガポール船籍じゃぁ、
引渡されると、このクレーン船をもう見る事も無いんじゃろうね。 

でも、日本船籍の船の様に名前が書かれていないねぇ。(´・Д・`)y-~~

L-3601と言うのが船名なんかね。(´ー`)y━~~ 

延長ジブの長さは、船体の幅から察するに50m位の長さじゃったんじゃね。
明日は日曜日だから、ここから離れるとしたら月曜日辺りか・・・・・。

明日もここに接岸してる様だと、明るい時間帯に写しておきますかね。(´ー`)y━~~

2012-03-30

てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館) その3

てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館)最後、その3でございます。(´ー`)y━~~  

てつのくじら館の建物の方を見学した後は、
メインの潜水艦「あきしお」へ。

「あきしお」の艦内へは、3階から入るのでございます。

と言う事で、3階入り口から見た「あきしお」のパノラマ。

「あきしお」の艦内へ入って直ぐの所。
R部分は「あきしお」の耐圧内殻のR。

潜水艦「あきしお」は、外殻と耐圧内殻を持つ2重船殻を持つ複殻式潜水艦。

最新型の「うんりゅう型」や一つ前の「くろしお型」は耐圧殻が部分的に露出している、
部分複殻式構造を持つ潜水艦。

複殻式の船体と部分複殻式の船体のどちらが良いかと言うと、
どちらも一長一短が有り、潜水艦運用のコンセプトの違いで選ぶ位のものだけれど、
今は船内を広く使える部分複殻式が現在のトレンド。

船内へ少し入った所。
 「くろしお型」や「うんりゅう型」の船内の色はこんな色合いじゃ無く、
ライトグレーみたい。

船内に有るトイレと洗面所。
トイレ内に見えるリブの形状から察すると、トイレはこの位置じゃ無く、
もう一階下側の層に有ったんじゃなかろかね?。

こんな風に船体の真ん中に陣取っていたんじゃぁ、邪魔になって仕方ないもんね。(^▽^)y━~~

こうして見ると、展示にするにあたり、内部の配置は結構換えられてるみたい。

船内の配置を大幅に変える事になったのは、呉市の消防法が関係しているらしく、
本来の配置のまま見学コースをと考えていたのに消防法の関係で、
見学範囲が狭くなってしまったと、潜水艦に乗務していたOBが話してくれた。

そんな訳で、この士官用の寝床もここに配置されていたとは思えない、
発令所の近所に有った。
士官用のベッドと判断したのは、一般隊員のベッドにはロッカー何て物は無い筈だからね。

士官用のベッドは建物の中にも有り、そちらは狭さを体験するのに寝る事もOKだったけれど、
艦内のベッドは寝てはいけません。

士官用のベッドの位置が変わっていたのと同じ理由で、
厨房も発令所と同じ階層に移動されてたけれど、
アメリカの原子力潜水艦と比べると狭くて質素なもの。

士官食堂兼会議室。
下士官以下は、その2に有った様なテーブルの並ぶ食堂で食事をしたり、
休憩したりする。

どちらの食堂にもTVが設置されているけれど、海中にTV電波が届くはずもなく、
もっぱらビデオ鑑賞してるそうな。

そのビデオ鑑賞も音が漏れてはいけないので、イヤホーン装着じゃと。

こうして見ると、潜水艦は制約が多い職場じゃねぇ。(´・Д・`)y-~~

配管、配線がゴチャゴチャしてる通路から発令所内を。
正面に見えているのは操縦席部分なんだけれど、
くろしお型以降の艦と比べると計器類はアナログなんじゃね。

現行の艦は、操縦士は一人でジョイスティック操作で操艦してるそうな。

この型まで操縦士は2人体制じゃった。

発令所内は、海図を広げる机や潜行浮上の操作をする制御板や、
搭載兵器の制御板等々が配置され凄く狭い。

ソナー室は別に有る見たいだけれど、タタミ1畳位の狭い空間じゃった。

攻撃用の潜望鏡を覗く子供。
潜水艦には索敵用潜望鏡と攻撃用潜望鏡の2本が有るけれど、
2本とも覗いて見ることが出来る。

てつのくじら館のジャンパーを着ているのは、艦内説明をしてくれる潜水艦搭乗のOB。

見学客が自分以外に居なければ、くろしお型の全力航行魚雷発射のテスト中、
魚雷を発射したのは良いけれど、魚雷射出速度より艦の速度の方が勝り、
魚雷が船体に当たったって言う様な逸話を話ししてくれるかもよ。(^▽^)y━~~ 

発令所下部に有る魚雷発射管と、
魚雷収納ラックや発射管に魚雷を装填する為の機機を見せるのに苦肉の策のアクリル板の床。
先の消防法の壁が無ければ、こんな風に見せる事も無く、
直に発射管室を見る事も出来たのにねぇ。(´・Д・`)y-~~

アクリル板、最初の頃と比べると傷だらけになってるね。

最初の頃は傷も無く、クリアーに発射管室が見えたのにねぇ。(´・Д・`)y-~~


艦内を一通り見て回った後の出口付近に有る、魚雷搬入ハッチ。
このハッチの線上に下層の魚雷室へと続く床の扉が有る。

これで、長い魚雷を潜水艦に積み込むのは、
どんな風にして積み込むかと悩まなくても済むね。(^▽^)y━~~ 

と、潜水艦の艦内を見学した後は、外の世界へ。

入り口側から出口側を写した写真。

潜水艦艦内の見学を済ませ、建物に戻ると、こんな物が展示されている。
展示されているのは、硬質潜水服。

潜水服って言ってもアルミ合金製の外殻を持つ物なんだけれど、
この潜水服、内部は1気圧を維持し、安全深度300mまでの耐性が有るんじゃと。

背中部分には高圧酸素ボンベやスラスターが装備されているし、
手の部分はマジックハンドだし内部は1気圧維持と、
さしずめ個人用潜水艦の様相をしてるね。(´ー`)y━~~

この装備を見た後は、フロア窓際に有る大戦中のアメリカの潜水艦に搭載されていた双眼鏡や、
旧日本海軍艦船に搭載されていた双眼鏡で呉港を眺める事が出来る。

双眼鏡の倍率はアメリカ軍の物が8倍で、旧日本海軍の物が20倍。

双眼鏡で呉港を満喫した後は階段を下りた所に売店が有るので、
おみやげ何ぞを買って帰るのも良いかも。(´ー`)y━~~ 

と、てつのくじら館を満喫した後は、潜水艦のプカプカ浮いてるSバースに行って見た。
昨日は潜水艦は6隻居たけれど、一番手前の「あらしお」はこの19日に除籍されたみたいで、
艦旗は、もう揚がって居なかった。

今度配備される「けんりゅう」と交代する為の除籍なんだけれど、
涙滴型潜水艦が減るのは寂しいのぅ。(´・Д・`)y-~~

と、潜水艦を眺めた後は、焼き豚丼を食べましょうと南州ラーメンへ寄ったのだけれど、
昨日は看板娘の体調が悪かったみたいで、おかみさん一人で切り盛りしていたので、
無理をさせてはと南州ラーメンを食べて帰った。
何時になったら、ノーマルの焼き豚丼に有りつけるのやら。(´・Д・`)y-~~

昨日の走行でーた。
 天応~呉~天応 。

走行距離30、52km

走行時間1時間47分12秒 

平均速度17、0km/h

最高速度42、8km/h

消費カロリー 410

総走行距離4508km+354km2010年12月23日乗り出し。
 

てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館) その2

てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館) その1に続き、その2でございます。(´ー`)y━~~ 

海上自衛隊掃海関連の2階から3階へ登ると床面にこんなのが。
床は面は黒いので、この表示はチョット渋いであります。(´ー`)y━~~ 

3階に上がって直ぐに目に付くのが、このカットモデル。
戦中のイ号潜水艦のカットモデルなんだけれど4m位の大きさがある。

日本の潜水艦建造、運用の歴史は古く、アジアでは約100年以上の歴史をもっている。

日本が潜水艦を及び潜水艦隊を保有するきっかけになったのは、
明治初期の日露戦争中、多くの艦艇を喪失、損傷した事が原因の一つで、
1904年の艦艇の緊急補完の時、
アメリカのエレクトリック・ボート社に潜水艇5隻を発注した事が、
日本の潜水艦隊保有の歴史の始まり。

アメリカから輸送されてきた潜水艇は横須賀海軍工廠で組み立てが行われ、
翌1905年7月に1号艇を受領し、10月31日に5号艇を受領、
その後日本海軍初の第一潜水艇隊が編成されたが、
その直前、8月10日にはポーツマスで日露講和会議が開かれ、
9月5日には講和条約が締結されたので、
日本海軍の日露戦争での潜水艇隊の実戦配備は無い。

実戦配備は無かったけれど、潜水艇の有用性が認識されたのは、
ロシア海軍の勘違いが引き起こした事が原因。

日露戦争中、日本海軍は単にロシアの旅順港での艦隊行動に一定の法則が有るのを把握し、
ロシア艦隊の行動経路に機雷を敷設していたのが原因で、
戦艦ペドロパヴロフスクが蝕雷し船体が真っ二つに折れ轟沈したんだけれど、
戦艦ペドロパヴロフスクが旅順港で蝕雷沈没した時、
残存ロシア艦艇は日本海軍が潜水艇を保有し、
その潜水艇で攻撃したと勘違いして海面を乱射しながら逃走したのを見て、
潜水艇の脅威認識や恐怖感を各国海軍は持つようになっていった。

先に書いたようにロシアとの開戦中に日本海軍は潜水艇は実戦配備していなかったので、
単にロシア海軍の艦艇が勘違いしただけだったんだよね。 (´ー`)y━~~ 

そうして見ると、当時でも潜水艇の脅威はある程度認識されていたみたいで、
戦艦ペドロパヴロフスク轟沈後、 日本海軍の戦艦 初瀬と八島が触雷した時は、
後続の戦艦 敷島では潜望鏡の確認が行われていたり、
ロシアの旅順要塞の信号所があたかも潜水艇が行動している様な信号を発信していたりと、
潜水艇が実戦配備されているのでは?と思わせる行動してたみたいである。

日本人が潜水艇を始めて目にしたのは1891年で、
前年、和歌山県沖で遭難したトルコ海軍生存者送還時、
軍艦、比叡、金剛乗艦の士官が潜水艇の存在を確認しているし、
1898年には渡米中の中尉がホーランド艇の試運転に関するニュースに触れ、
試運転、魚雷の発射試験にも立ち会った後、譲渡の申し入れを受け、
潜水艇の購入の検討もしていたけれど諸事情により購入に至らなかっただけなんだけど、
日露戦争当時には潜水艇が戦力になると、ある程度は認識してたみたいじゃね。

と、日露戦争を挟んだ時期には、日本は潜水艇隊と言う潜水艦隊を持っていた。

だけれど潜水艦は海に潜っている事が多く、
水上艦のように目に付かず地味なので国民に広く潜水艦の事を知ってもらおうと、
この施設が出来て展示物が置かれる事となったんだよね。

先のカットモデルの反対側。
確か当時の潜水艦の深度計何かも展示されてたんじゃなかったっけ。

こちらは、3世代前の潜水艦のカットモデル。
 って言っても、未だ現役で就航している潜水艦と一緒なんだけどさ。


カットモデルをパノラマで。
セイルの下に指揮所が有って、その下に魚雷発射管や魚雷の保管場所が有り、
その後ろの方に居住区、その又後ろに発電用のジーゼル機関、
最後尾にスクリュー駆動用の電動モーターと続く。

3階の潜水艦コーナーは色々と備品等も展示されているけれど、先の掃海関係と一緒で、
写真の枚数が増え過ぎるので艦内に有る物はここには載せない。

艦内食堂に有るテーブルと椅子。
椅子の下は保管の利く生鮮食品保管庫になっているのが、
スペースの無い潜水艦らしさを現しているね。(´ー`)y━~~ 

潜水艦のメニューの一部。
潜水艦は洋上艦と違い、太陽の拝めない閉鎖空間での生活がメインとなるので、
乗員の士気を維持する為に水上艦より良い食材が提供されるので、
潜水艦の飯は美味いとの噂。

艦内に設置されている潜望鏡。
外を見る事が出来るらしいんだけれど、
我が輩がここに来る時は人が居なかった試しが無いので覗いて見た事は無い。

どんな風に見えるんじゃろうね?。

一個人が集められた潜水艦保有各国のドルフィンマーク。
多分潜水艦保有国の全ての国の物が有るんじゃなかろかね。

と、潜水艦本体への経路を進むと、頭上には魚雷がぶら下がってたり。(^▽^)y━~~ 
展示されている魚雷も、2階に展示されている機雷と一緒で、
炸薬材が入って無いだけの物かも。
(バッテリー駆動の物はバッテリーは抜いてると思う。)

日本のお家芸、酸素魚雷のカットモデルの部分写真。
この酸素魚雷のカットモデルは、戦後開発された酸素魚雷の物で、
雷速は70ノットと、時速に直すと100km以上の高速を誇ったそうな。

展示されている潜水艦に乗り込む手前に展示されている、無人対潜ヘリ。
アスロックや対潜ロケト弾の変わりに使われていた物。

ヘリの腹に抱え込んでいるのは黄色い物が多分、対潜爆弾で、銀色の物が対潜用の短魚雷。
この方式も、航続距離が短いって事で、
有人ヘリの運用やアスロックに取って代わられたんじゃないかな。

と、3階の潜水艦の活躍展示場を後にし、
実物の潜水艦の「あきしお」艦内へと向かうんだけれど、
それは、その3につづく。(^▽^)y━~~

てつのくじら館(海上自衛隊呉史料館) その1

昨日は天気が良かったのでPROGRESSIVEこと、ぐれ漕いでお散歩。 

に出たは良いけれど、あまりの陽気の良さに暑すぎて、
汗をかきそうだったので、力入れて漕がなかった。 (´ー`)y━~~

この所の寒さのせいで上着にフリース着て出かけたのは良いけれど、
昨日は暖かすぎた。(;・∀・)y━~~

服装はもう、半袖のジャージに長袖のインナーで良さそうじゃね。(´ー`)y━~~ 

うんで、力入れて漕がないならIHI呉工場の観察をと、
二河川河口の公園へ行き、呉工場の観察。
以前の写真と見比べれば判る様に、
昨日は新しく進水したコンテナ船の船体にキャビンが乗っかっていた。

しかも隣には、何処かに出かけていた先に作られていたコンテナ船が鎮座しとる。

コンテナ船のキャビンを釣り上げたクレーン船は、一昨日には呉を離れた模様。

クレーン船、キャビンを吊り上げるのに夜入港し、
翌朝、朝一でキャビンを釣り上げて据え付け、
その翌日には呉を出たとは、何とも慌ただしいですな。 (´ー`)y━~~ 

と、IHI呉工場の観察を済ませた後は海上自衛隊呉史料館、
別名: てつのくじら館へ行く。

てつのくじら館は開館して何年も経つので、
あちらこちらのHPで紹介されているけれど、
ブログネタに改めて行ってみる。

てつのくじら館へ入館するに当り、
てつのくじら館直ぐ側に有るスーパーの自転車売り場にぐれを駐めさせてもらったけれど、
てつのくじら館側にも駐輪場が有ったので、そこへ駐めれば良かった・・・・・。

気が付かんかったのぅ。(´・Д・`)y-~~

で、自転車を駐めた後、てつのくじら館へ。
今回で、てつのくじら館へ入るのは3回目。

てつのくじら館は側に有るヤマトミュージアムと違い、
海上自衛隊の広報館なので入館料はタダ。

そんな訳で、我が輩地元民なもんだからネタ拾いがてら、
こうして何度も足を運んでみたり。(^▽^)y━~~
海外から閲覧している人の為に、てつのくじら館の軽い説明を。

てつのくじら館は海上自衛隊呉史料館と言い、
掃海艇の役割や活躍、潜水艦等を世間一般の人に理解してもらう為
掃海艇の歴史や装備、海上自衛隊の潜水艦の歴史や装備等を展示説明する場所。

現役を退いた本物の近代潜水艦を陸上展示しているのは世界的に見ても珍しいそうな。

もっと知りたければ、
海上自衛隊呉史料館/別名: てつのくじら館のHPで確認して下さいな。(´ー`)y━~~ 
http://www.jmsdf-kure-museum.go.jp/

てつのくじら館の入り口。
潜水艦の下を潜って入館。

館内1階は受付に、歴史パネルと館内見学終了時に降りて来る所に有る売店が有る位だから、
入って直ぐ掃海艇の歴史活躍&装備展示してある2階へエスカレータで登る。

エスカレータを降りると、いらっしゃーいと出迎えてくれる本物の機雷。(^▽^)y━~~ 
この機雷は湾岸戦争終了後、機雷処理の為に海上自衛隊の掃海部隊が派遣された時、
おみやげにお持ち帰りした物。

機雷の頭に出ている突起部に信管が付くんだけれど、
展示されている機雷には信管は付いていない。

お出迎えしてくれた機雷を後にして奥の方に進むと、
沢山の機雷が両脇に並び歓迎してくれる。(^▽^)y━~~ 
係留機雷や沈降機雷等、機雷にも色々有る様で。

ちなみに展示されている物は、お出迎えしてくれた機雷と一緒で、
モックアップ何かじゃなく全部本物。

機雷処理の爆圧で変形した、機雷処理機機を引く為の途中に有るフロート。
結構離れてる所に付いているんだと思うけれど、爆圧って凄いんじゃね。

歓迎してくれた機雷を後にさらに奥へ進むと、
色々な展示物が有る所に出るんだけれど全部載せるのは無理って事で、
一番目に付き興味を引かれそうな遠隔操作機雷処理艇と、
機雷のワイヤーをカットした後、洋上に浮いてる機雷の爆破に使われる20mmガトリング機関砲。

遠隔操作機雷処理艇は、比較的深い所に有る機雷の処理に用いられるんじゃなかろかね。
ついこの前、大分沖で起きた潜水作業員の事故の様に、
水深30mを越えるとグッと危険度が増すからね。

で、20mm機関砲。
ガトリング機関砲は戦闘機に搭載されている物と基本同じなんだけれど、
掃海作業では、バラバラと弾をばらまく必要も無いので、
発射速度は戦闘機何かに積まれている機関砲の大体1/10位の毎分450発。

機関砲の展示を見れば判る様に柵があり、
物自体には触れない様になっているけれど、
機関砲の肩当てに身体を預け、
ババババ!!ってやって見たいのは我が輩だけじゃ無いだろうな。(^▽^)y━~~ 

と、機雷や掃海艇の備品を写した所で、潜水艦の説明や展示品の置かれている3階へ。

その2につづく。

2012-03-27

残念。(´Д`)v―・~~

昨日写真に写したコンテナ船のデッキ。

今日帰りにデッキの有った埠頭を見ると、
クレーン船が停泊してた。

うんで行って見ると、
デッキ、船体に取り付けられた後じゃった。(´・Д・`)y-~~

クレーン船を見た時、ワイヤーが垂れていたので、
嫌な予感がしたんだよなー。(´・Д・`)y-~~

せっかくデッキ釣り上げてるのを見られると思ったのに、
クレーン船、昨日の夜には入港したみたいじゃ。

で、朝一でデッキ吊り上げて船体に取り付けと。

吊り上げてるのを見られなかったので、ジブの真下から。
今日はカメラが違うので、チャンと写せないけれど、
せっかくだからと写して見たけど、
マニュアル撮影が出来ないからちゃんと写らないね。(´ー`)y━~~ 

ジブの付け根。
 ジブを船体に止めているピンの直径は1m位有りそう。

やっぱ、物がデカイと全部が大きくなるんじゃね。(´ー`)y━~~ 

でも、吊り上げてるのが見られなくて残念じゃ。(´ーー`)y━~~ 

そう言えば、「そうりゅう」型の4番艦「けんりゅう」の呉入港は、
4月の上旬との情報を得た。

4月の何日とは未だ判らないみたいだけれど、
2番艦の「うんりゅう」は3月25日引渡の4月20日入港、
3番艦の「はくりゅう」は3月14日引渡で4月15日入港と、
大体、約1ヶ月の慣らしの後、呉に入港してるので、
「けんりゅう」もそれに習うかと思ったけれど、
どうも今回は入港が早くなりそうな感じ。

って事で、何時入港するか情報収集を密にせねばならんか。(;・∀・)y━~~

2012-03-26

ワンタッチピクニカでお買い物。。(´ー`)y━~~

ガソリン価格が値上がりしたねぇ、
って事で、ワンタッチピクニカでお買い物。(´ー`)y━~~ 

こうもガソリン価格が値上がりすると、
チョットした買い物は自転車転がすに限るね。(´ー`)y━~~

燃料は、おむすび1ヶか2ヶで済むし、
よしんば沢山燃料が必要でも、うどんを追加する程度で済むしね。(^▽^)y━~~  

で、本来なら今日は自転車漕がない日なんだけれど、
大した荷物にもならないのでワンピク漕いで呉まで買い物に出たんだけれど、
出かける前にワンピクのチェーンにオイルを注しときましょうと、
久しぶりにワンピクの整備。

ワンピク、チェーンを新しい物に交換して今まで一度もオイルを注してなかった。

別段オイルを注して無いからといって、チェーンから音が出てた訳じゃ無いけれど、
早め早めの対処が寿命を延すからね。

こういう時、ペダルがワンタッチで外せると楽よね。(^▽^)y━~~ 




で、チェーンカバーを外してオイルを注した後呉へ。

呉に出た後は、最初はネコさんの補完食を動物病院で受け取り、
ちょっと街中に有るホームセンターでネコ用のミルクを買った。

これでお買い物終了。

って事で、大和ミュージアム裏の大和埠頭へ行ってIHI呉工場の確認。

大和埠頭からIHI呉工場を見ると、新しく進水式を終えたコンテナ船の船体がプカプカしてた。
この前のブログに書いたように、今船体の浮いている埠頭に有ったコンテナ船は、
この船体の為に場所を空けたんじゃね。

場所を空ける為に沖へ停泊してたコンテナ船、今日は見あたらなかったので、
テスト航海に出てる様子。

1週間も経てばテストから帰って来て、今浮いている船体の裏側に繋がれるんだろうな。

クレーン船はと言うと、主ジブに取り付けられていた延長ジブを外し、
2本とも主ジブが立ち上がっていた。

もう少ししたら、このクレーン船は引渡って事になるんかな?。

クレーン船の引渡が済んだら、毛色の変わった船が見られなくなるなぁ。(´・Д・`)y-~~

と、IHIの工場の観察を終えた後は、
大和埠頭に有る東屋から360°を見回した景色を写すのに、
東屋に登りぐるりと全周を写した。
周囲 360°の範囲を写したので、細長くなって見え難いと思うけれど、
見え難かったらPCに落として見て下さいな。(´ー`)y━~~ 

ひとしきり写真を写した後は、帰り道の道中に有る違う埠頭から眺めて見る事にし、
大和埠頭を後にした。

で、違う埠頭に寄って見ると、
進水式を終えた船体に載せるデッキがバージに載せられ接岸してた。
辺りに、これを吊り上げる為のクレーン船は見あたらないので、
このデッキを取り付けるのはもう少し後になるんかな?。

うまくいけば、このデッキを吊り上げてるのが見られるかも。 

デッキを良く見ると大まかな偽装は終わってる様子。

こんなだからデッキを載せて2ヶ月位で動くようになるんじゃね。(´ー`)y━~~

って、1年で20万トンクラスのコンテナ船を3隻くらい作ってる様な・・・・・。 

そうして見ると、こんなデカイ船を造る工期短すぎるんじゃね?っと思えてしまう。

もう少しすると以前クレーン船を写すのに横断歩道の上から写した写真に写ってる、
ばら積み船ももう少ししたら進水式しそうだし。

こうも短期間に次から次に作って、仕事無くならねのかねぇ?と、
要らぬ心配してしまいそうじゃ。(´・Д・`)y-~~

うんで、違う埠頭から見たIHI呉工場。
今日はカメラが違うので写りが悪いけれど、
大きなクレーンが乱立しているドックは進水式を終えたので船影は見えないけれど、
もう新しい船作る作業してるんじゃろうね。

うんで、こちらの埠頭から見えるIHIの新宮工場で作られている、
荷役機械は逆光でまともに見えなかったので写さなかったけれど、
アームは2機とも付けられていたので、
このコンテナ船のデッキが埠頭から居なくなってしばらくすると、
ここにバージに乗せて移動って事になるのかも。

一頻り観察も済んだので、日も落ちたし帰る事に。

本日の走行でーた。

天応~吉浦~呉~吉浦~天応

総走行距離 1396km