昨日は天気は崩れるがお昼過ぎから曇り空と言う事で、
音戸の瀬戸に架けられた第3音戸大橋を渡りに行って来た。(´ー`)y━~~
一応中2日休んだので天気に不安が有ったが自転車漕ぐ事にする。
家を出たのは15時過ぎで向かい風の中呉へ向かうが、
呉の手前の吉浦で遅いお昼ご飯。
実家近くの喫茶店でカレーを食べた。
喫茶店前の道。
小豆の駐めてあるお店が喫茶店なんだけれど45年位前から有るお店。
カレーでお腹を膨らませ呉へ向かうがトンネルを通らず峠越えをして呉入り。
呉に入って直ぐ川原石の埠頭へ寄り、
起重機船の「駿河」が何時もと違う方向で接岸していたので写す。
何時もは埠頭に対して縦に留められているが昨日は何故か横向きじゃった。
直ぐ側に起重機船が繫がれているのでワイヤーを支える支柱を。
少し奥に留められているレッカー車を見ると、支柱がどの位の大きさか判るね。
支柱の足下には「目くばり、気くばり、素直な行動、安全作業」と、
作業の安全の為の標語が書かれている。
先日転覆沈没した韓国のフェリーの乗員は、
事故時の安全教育はされていなかったそうな。
きちんと安全教育され、それをチャンと実行出来ていれば、
あれほど多くの犠牲者を出さずとも済んだのにのぅ。(´ーー`)y━~~
しかもあの事故後に紀伊半島沖で自動車運搬船を燃やして総員退去して救助されたり、
瀬戸内海で引き船を座礁させたりと、韓国籍の船の事故には暇が無い。
チョット記憶に残っている海難事故だけでも、
停泊中のタンカーに起重機船をぶつけ原油漏れで大騒ぎしたり、
関門海峡で航路を外れて護衛艦と衝突したり、
対馬沖で新船の試運転中にケミカルタンカーにぶつけて燃やした後、
延焼中の船を日本領海まで流させ日本に処理責任を押しつけようとしたり、
房総半島沖でやはり衝突して養殖ノリに被害を与えたり、
紀伊半島沖で座礁したりと少し記憶を辿るだけでもこれだけ思い浮かぶ。
タンカーと起重機船の衝突と関門海峡の衝突以外は今年に入っての事故なんだから、
乗客を置き去りにしたフェリーの乗員を見ると無責任極まりないので、
半島人は操船に向いて無いんじゃ無いかと思ってしまう。
しかもタンカーに起重機船をぶつけた時の判決は、
アンカーを入れ荷揚げ待ちに停泊していたタンカーにぶつけたのに、
タンカーの船長を起訴有罪とし、収監したのでロイド保険が保険を受けなくなったので、
無保険状態で日本に来ている。
事故処理の費用を出せないなら日本に来るなと言いたい。(・`д・´)y━~~
と、起重機船を写した後はIHI呉工場の観察。
先だってもうすぐ進水式しそうって書いた100万トンドックで作られていたタンカーは、
新造の起重機船が繫がれていた埠頭に入れ替わりで繫がれていた。
以前繫がれていた起重機船は沖側に移動し、
100万トンドックでは次の船のブロックが見える。
川原石の埠頭で観察を済ませた後は大和埠頭へ行き、
IHI呉工場の手前側のドックで作られているバラ積み船を写すが、
写した写真を整理していた時に誤って上書きしたのでバラ積み船の写真は無し。
大和埠頭で観察を済ませた後、音戸方面へ向かう。
音戸に向かう途中の坂道を登り切った所に有る「歴史の見える丘公園」へ寄る。
歴史の見える丘公園に有る戦艦大和の慰霊碑。
他にも慰霊碑が有るが判りやすい大和の慰霊碑を。
慰霊碑裏の歩道橋を渡りIHI呉工場のドックを。
大和埠頭で写したバラ積み船。
デッキ上のデリッククレーンのアームも付き塗装も終わっているので、
このバラ積み船も、もう少しすると進水式じゃね。
昨年起重機船が進水式した後、このドックで作られた船はこれで2隻目。
ドックの周りには次に作られる船のブロックが置かれている。
歴史の見える丘公園でIHI呉工場の観察を済ませて移動。
今度は潜水艦のプカプカ浮いている海上自衛隊のSバース。
「そうりゅう」型潜水艦。
「おやしお」型潜水艦と潜水艦救難母艦の「ちはや」。
他には潜水艦は繫がれていなかったが、
一昨年除籍された後Sバースに長く繫がれていた「あらしお」は解体されるのか、
埠頭にはいなかった。
チャッチャと写真を写し直ぐに移動。
道路際から日新製鋼所の溶鉱炉を。
昔はこの一段高くなった道では無く工場の直ぐ側を道が通っていた。
製鋼所から殆ど煙が出ていないが製鋼所は稼働中。
日本も他の先進国同様に環境問題が1970年代に入って問題化し、
低公害化を促進したので今の様に殆ど煤煙を出さなくなったが、
昨今は中国から越境して公害物質が飛来するので閉口する。(´ー`)y━~~
そんな工場群を抜け第二音戸大橋へのバイパスに乗り、
坂道を第二音戸大橋へと進む。
坂道を上り切り、第二音戸大橋の手前から第二音戸大橋を。
クルマだと留める所が無いのでこう言う写真は写せない。
第二音戸大橋を渡り切ると第三音戸大橋の全容が見える。
第三お音戸大橋はバイパスを渡る為の歩道橋なんだけれど、
普通の横断歩道橋に音戸大橋の様なアーチを付け観光に一役買って貰おうと作られたみたい。
因みに第三音戸大橋は単なる名称で歩道橋にはちゃんとした名前が有る。
歩道橋へのアクセスは、
健常者の為の階段と足腰の不自由な人の為のスロープが有る。
そんな歩道橋の側に小豆を駐め歩道橋を渡るのに階段を上り初代音戸大橋と第三音戸大橋を。
第二音戸大橋と第三音戸大橋。
と、一通り写真を写し、第三音戸大橋を渡りますよっと。
第三音戸大橋を渡った所から第二音戸大橋を。
歩道橋のスロープを少し行った所から初代音戸大橋を。
最初に架けられたこの音戸大橋は、瀬戸内に浮かぶ島々に一番最初に架けられた橋で、
昭和36年(1961年)に本土と倉橋島を結んだ。
この後瀬戸内の島々に橋が架けられ、
本土と四国を結ぶ「本四架橋」や「しまなみ街道」「神戸・鳴門ルート」が出来た。
初代音戸大橋の島側の降り口は立地の関係からループ橋となっていて、
上るにしても降りるにしてもクルクルと回るので目が回りそうになる。(^▽^)y━~~
音戸大橋の本土側に有る登り口の法面には「サツキ」が植えられていて、
もう少しすると「サツキ」の花が満開となるので白や紫の花で包まれるので綺麗。
とここでふと思ったんだけれど、
歩道橋に上がらないと初代音戸大橋の全容は見えないから、
この歩道橋は展望台の役目もしてるね。(´ー`)y━~~
第三音戸大橋も渡って満足した後、
島側にバイパスを下りバイパスと一般道の信号機でこの後、
江田島に渡るか島を回るかこのまま帰るか思案中。
バイパス降り口の交差点から見える塩の山。
ここの塩は工業用の岩塩。
暫くここでどうしようかと考えたが戻る事をせず、
島を回るか江田島へ渡るかと考えつつ江田島へ渡る早瀬大橋方面へ。
早瀬大橋方面へ向かうが江田島に渡った後、
小用港から呉へのフェリーの時間に間に合わなさそうだったので、
早瀬大橋を渡らず倉橋島を回って帰る事にする。
倉橋島を半周する格好で走り音戸方向への途中の景色。
この頃になると辺りも薄暗くなってきた。
19時までには音戸の渡し船に乗ろうと足をクルクル回して音戸の瀬戸まで戻ってきた。
辺りが暗くなった頃渡し船に乗って本土へ向かう。
渡し船は本土側に居たので我が輩を乗せるのに迎えに来る。
本土に渡った後、阿賀から休み山トンネルを抜け呉へ帰る事にして阿賀方面へ。
阿賀から休み山トンネルを抜け呉へ戻り、
川原石のお好み屋に寄って晩ご飯にお好み焼きを食べてお腹を膨らませた後帰路に。
帰り際にコンビニに寄って牛乳とタバコを買い、
自宅手前で野良ネコに餌やりした後帰宅。
昨日の走行でーた。
走行距離 61.9km
昨日は阿賀までの途中まではサイコンは動いていたが、
コンビニに寄ってハムカツを食べた後再出発するとサイコンは再起動せず。
ボタンを押しても無反応だった。(´ーー`)y━~~
一体このサイコン、どうなってるんじゃろうのぅ?。(´・Д・`)y-~~
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