海上自衛隊掃海関連の2階から3階へ登ると床面にこんなのが。
床は面は黒いので、この表示はチョット渋いであります。(´ー`)y━~~
3階に上がって直ぐに目に付くのが、このカットモデル。
戦中のイ号潜水艦のカットモデルなんだけれど4m位の大きさがある。
日本の潜水艦建造、運用の歴史は古く、アジアでは約100年以上の歴史をもっている。
日本が潜水艦を及び潜水艦隊を保有するきっかけになったのは、
明治初期の日露戦争中、多くの艦艇を喪失、損傷した事が原因の一つで、
1904年の艦艇の緊急補完の時、
アメリカのエレクトリック・ボート社に潜水艇5隻を発注した事が、
日本の潜水艦隊保有の歴史の始まり。
アメリカから輸送されてきた潜水艇は横須賀海軍工廠で組み立てが行われ、
翌1905年7月に1号艇を受領し、10月31日に5号艇を受領、
その後日本海軍初の第一潜水艇隊が編成されたが、
その直前、8月10日にはポーツマスで日露講和会議が開かれ、
9月5日には講和条約が締結されたので、
日本海軍の日露戦争での潜水艇隊の実戦配備は無い。
実戦配備は無かったけれど、潜水艇の有用性が認識されたのは、
ロシア海軍の勘違いが引き起こした事が原因。
日露戦争中、日本海軍は単にロシアの旅順港での艦隊行動に一定の法則が有るのを把握し、
ロシア艦隊の行動経路に機雷を敷設していたのが原因で、
戦艦ペドロパヴロフスクが蝕雷し船体が真っ二つに折れ轟沈したんだけれど、
戦艦ペドロパヴロフスクが旅順港で蝕雷沈没した時、
残存ロシア艦艇は日本海軍が潜水艇を保有し、
その潜水艇で攻撃したと勘違いして海面を乱射しながら逃走したのを見て、
潜水艇の脅威認識や恐怖感を各国海軍は持つようになっていった。
先に書いたようにロシアとの開戦中に日本海軍は潜水艇は実戦配備していなかったので、
単にロシア海軍の艦艇が勘違いしただけだったんだよね。 (´ー`)y━~~
そうして見ると、当時でも潜水艇の脅威はある程度認識されていたみたいで、
戦艦ペドロパヴロフスク轟沈後、 日本海軍の戦艦 初瀬と八島が触雷した時は、
後続の戦艦 敷島では潜望鏡の確認が行われていたり、
ロシアの旅順要塞の信号所があたかも潜水艇が行動している様な信号を発信していたりと、
潜水艇が実戦配備されているのでは?と思わせる行動してたみたいである。
日本人が潜水艇を始めて目にしたのは1891年で、
前年、和歌山県沖で遭難したトルコ海軍生存者送還時、
軍艦、比叡、金剛乗艦の士官が潜水艇の存在を確認しているし、
1898年には渡米中の中尉がホーランド艇の試運転に関するニュースに触れ、
試運転、魚雷の発射試験にも立ち会った後、譲渡の申し入れを受け、
潜水艇の購入の検討もしていたけれど諸事情により購入に至らなかっただけなんだけど、
日露戦争当時には潜水艇が戦力になると、ある程度は認識してたみたいじゃね。
と、日露戦争を挟んだ時期には、日本は潜水艇隊と言う潜水艦隊を持っていた。
だけれど潜水艦は海に潜っている事が多く、
水上艦のように目に付かず地味なので国民に広く潜水艦の事を知ってもらおうと、
この施設が出来て展示物が置かれる事となったんだよね。
先のカットモデルの反対側。
確か当時の潜水艦の深度計何かも展示されてたんじゃなかったっけ。
こちらは、3世代前の潜水艦のカットモデル。
って言っても、未だ現役で就航している潜水艦と一緒なんだけどさ。カットモデルをパノラマで。
セイルの下に指揮所が有って、その下に魚雷発射管や魚雷の保管場所が有り、
その後ろの方に居住区、その又後ろに発電用のジーゼル機関、
最後尾にスクリュー駆動用の電動モーターと続く。
3階の潜水艦コーナーは色々と備品等も展示されているけれど、先の掃海関係と一緒で、
写真の枚数が増え過ぎるので艦内に有る物はここには載せない。
艦内食堂に有るテーブルと椅子。
椅子の下は保管の利く生鮮食品保管庫になっているのが、
スペースの無い潜水艦らしさを現しているね。(´ー`)y━~~
潜水艦のメニューの一部。
潜水艦は洋上艦と違い、太陽の拝めない閉鎖空間での生活がメインとなるので、
乗員の士気を維持する為に水上艦より良い食材が提供されるので、
潜水艦の飯は美味いとの噂。
艦内に設置されている潜望鏡。
外を見る事が出来るらしいんだけれど、
我が輩がここに来る時は人が居なかった試しが無いので覗いて見た事は無い。
どんな風に見えるんじゃろうね?。
一個人が集められた潜水艦保有各国のドルフィンマーク。
多分潜水艦保有国の全ての国の物が有るんじゃなかろかね。
と、潜水艦本体への経路を進むと、頭上には魚雷がぶら下がってたり。(^▽^)y━~~
展示されている魚雷も、2階に展示されている機雷と一緒で、
炸薬材が入って無いだけの物かも。
(バッテリー駆動の物はバッテリーは抜いてると思う。)
日本のお家芸、酸素魚雷のカットモデルの部分写真。
この酸素魚雷のカットモデルは、戦後開発された酸素魚雷の物で、
雷速は70ノットと、時速に直すと100km以上の高速を誇ったそうな。
展示されている潜水艦に乗り込む手前に展示されている、無人対潜ヘリ。
アスロックや対潜ロケト弾の変わりに使われていた物。
ヘリの腹に抱え込んでいるのは黄色い物が多分、対潜爆弾で、銀色の物が対潜用の短魚雷。
この方式も、航続距離が短いって事で、
有人ヘリの運用やアスロックに取って代わられたんじゃないかな。
と、3階の潜水艦の活躍展示場を後にし、
実物の潜水艦の「あきしお」艦内へと向かうんだけれど、
それは、その3につづく。(^▽^)y━~~
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