2011-10-08

入船山記念館 1/3(洋館の部)

昨日は呉に用事が有ったので、
PROGRESSIVE転がして行ってきた。(´ー`)y━~~ 

ついでに3年ぶり位になるけど入船山記念館に寄って見た。(´ー`)y━~~

呉に出かける前に、リヤディレイラーの調整。

ここの所フロントチェーンリングからのチェーン脱落が良く有る。

まぁ、フロントのチェーンリングが大きいのと、
BB中心からリヤホイール中心までの距離が、
フルサイズの自転車と比べて少し短いし、
9速に改造したからチェーンラインに無理が有るんだろうけどね。(´ー`)y━~~

写真のポインターを合わせマウスのコントローラーホイールをクリックすると、
別ウインドーで表示され、その写真をクリックするとノーマルサイズに拡大されるよ。

リヤディレイラーの調整を済ませて呉へ。 
呉で用事を済ませた後、入船山記念館へ。

駐輪場は道路向かいに有るけど自転車は我が輩1台だけだから、
門の裏側に駐めて記念館へ。
券売所手前に有る旧呉海軍工廠に有った塔時計。

大正10年(1921年)に海軍工廠造機部の屋根に設置されていた物で、
昭和56年(1981年)に整備復元され、1日4回時を知らせるメロディを奏でてる。

券売所で入場料250円を払い記念館へ。

最初の門から旧海軍呉鎮守府司令長官官舎までの道は、
昔呉市街を走っていた路面電車の軌道敷石を敷き詰めて再利用している。
旧火薬庫の1号館、事務所兼用の郷土館には寄らず、
旧海軍呉鎮守府司令長官官舎へ。

司令長官官舎前はロータリーのようになってるけど、
司令長官や他のお偉いさんはクルマで送迎されてたんだろうな。

でも、昔は敷石なんて無かったのかも。

執務や接客応対に使われた司令長官官舎は、
表は洋館だけど、住居部分は和式の建物で、
洋館の裏側で接続されている。

洋館は木造平屋建で、屋根はイギリス式ハーフティンバー様式を取り入れ、
屋根には天然スレート(粘板岩)を魚の鱗のようにして葺いている。


官舎正面入り口。

正面玄関のドアには、海軍の錨と桜をデザインしたガラスが使われ、
周囲はステンドグラスがはめ込まれてる。

洋館の北側に回り、住居部分の旧台所から館内へ。
表からだとガラスの模様が分かり難かったので館内から。

ステンドグラスは思ったよりシンプルじゃね。(´ー`)y━~~

玄関ロビーから。

玄関ロビーからは、右側に有る執務室と客室へ。

ホールは、向かって右側に書生部屋が有り、そのまた奥にトイレ、
正面左側の通路は住居へ続く通路で、左側に接客室と食堂へのドアが有る。
ホールに展示されてた戦艦大和のスケールモデル。

サイズは1/150でオール真鍮製、このモデルは個人が寄付した物みたいである。

執務室。

表の作りとは打って変わって内装は金唐紙(きんからがみ)の壁紙が貼ってあるけど、
調度品を含めた感じは落ち着いた雰囲気で渋い。
接客室。

こちらはシャンデリアもぶら下がり、ソファも布製で壁紙も金色に変わり、
豪華さが有るが、天井は漆喰のままで変にチャラチャラして無い所が、
日本美を感じさせる。

金唐紙の壁紙が豪華で綺麗だったので。
 
金唐紙の壁は終戦後、進駐軍が接収した後、白ペンキで塗られてたそうだけれど、
こういう美術価値の有る物にペンキを塗るなんざ、
奴らの教養が伺い知れるな。(´ー`)y━~~ 

もし日本人が同じ様にこんな建物を接収した場合、
価値を見いだし、多分そのまま使うだろうけどね。(^▽^)y━~~

まっ、何にせよ美術価値の有る物にペンキを塗ると言う行為は、
戦勝国として乗り込んで来た奴らは、
いかに日本を蔑んでいたかを思わせる所行ではあるな。(´ー`)y━~~

ちなみに、現在貼られてる金唐紙の壁紙は、
ペンキの塗られていなかったカーテンボックスの取り付け部や、
電気スイッチボックスの下地を元に復元された物。 

食堂側から接客室を。
令長官官舎で使われていたコーヒーセット。

アイボリー系の白色に金縁で至ってシンプルだけど、
海軍を示す錨と桜のマークが入っている。

食堂。
ここにも金唐紙の壁紙が貼ってあるけど、
金色では無く象牙色の落ち着いた物。

足下の赤いカーペットは単に床材が傷まない様にとの配慮から。

テーブルには当時出された料理が再現されているけど、
単にテーブルに並べて有るだけで、
呉市の展示センスの無さを伺わせるもの。

せめて食器の並びやフォークやスプーンを並べ、
食卓風景位再現しろよなぁ。(´・Д・`)y-~~

と、洋館の部はここまで。

住居部分1/2につづく。

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