歴史民族資料館、以前来た時は戦中の食事事情だったけど、
今回のテーマは金唐紙じゃった。(´ー`)y━~~
金唐紙は17世紀当時、ヨーロッパの宮殿や寺院の壁や天井に使われてた、
薄いなめし革に文様を浮き出させ、
金属箔や金泥でメッキされた物が江戸時代に日本に伝わり、
金色の舶来品の皮と言う意味から金唐皮と呼ばれ、
日本では珍重されましたが、当時の日本は肉食では無く、
材料となる皮がふんだんに使えなかったので、
金唐皮を紙で作る試みがなされ、東京日本橋に有った竹屋商店が、
明治6年(1873年)ウィーン万国博覧会に金唐皮壁紙を出品し、
評判が良かったので後に注文に応じてヨーロッパに輸出されるようになりました。
当時輸出された金唐紙は、
現在もヨーロッパの何処か忘れたけど、宮殿の壁に残っている筈。
金唐紙の製造工場は、明治31年(1898年)には15工場のぼり、
芸術産業としてピークを迎えましたが、
デザイン的な魅力の低下、コスト削減を狙った事による品質の低下等から、
輸出の勢いも鈍り、大正8年(1919年)には東京の山路壁紙製造所のみとなりますが、
やがて日本加工製紙(株)に吸収統合された後、
山路美術壁紙として復活しましたが、最盛期の再現はならず、
昭和37年(1962年)に閉鎖され、工業製品としての金唐紙は姿を消しました。
1/3に書いた様に、進駐軍に接収された後、
白ペンキを塗られていた壁を修復しようとするにも、
工業製品としての金唐紙は製造している所も無く、
ごく僅かに残っていた金唐紙を元に金唐紙研究所や紙の博物館の協力を経て、
復元に成功し、建築当時の姿に司令長官官舎を蘇らせる事が出来たそうです。
と言う事で、ここ司令長官官舎の洋館壁には、
6種類の金唐紙が再現され使われている見たい。
壁の腰下部分に使われている、金唐壁紙。
何処に使われてる物か忘れたので、
適当に観賞して下さいな。(;・∀・)y━~~
版木と言うか、叛丸太と言うか・・・・・。
これに和紙を当て、均等に叩いて文様を映し出したそうな。
ちなみに作業工程は15工程に及んだんじゃと。
呉に鎮守府が置かれた初期の頃の図。
未だ鉄道も引かれて無いから、明治も初期の頃なんじゃろうね。(って、単にいつ頃の図か忘れただけ。(;・∀・)y━~~)
昨日の走行でーた。
天応~呉~天応 。
走行距離22、48km
走行時間1時間10分52秒
平均速度19、0km/h
最高速度46、2km/h
消費カロリー 350
なーんか昨日は疲れたなぁ。
遅い夏バテなんじゃろか・・・・・。(´・Д・`)y-~~
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